館長の部屋
Director's room
世界空手道連盟 拳栄会館
館長 梁井 俊男
1959年 2月 佐賀県鳥栖市生まれ うお座 B型 亥年
過去やっていたこと
真冬でも、ドライスーツなるものを着てかっ飛ばした!
・熱帯魚
紛争や、内戦が絶えなかった時代に、アフリカから直接輸入してもらっていた。
金属光沢に青、黄、赤にギラギラと光り輝くアフリカンシクリッドを100匹以上飼育していたが、大蔵省からの通達でみんな他人に譲った。電気代、餌代が月、数万円だったから仕方がない。(死ぬ前にもう一度飼ってみたい)
・ムエイ・タイとボクシング
小郡市在住だった元ラジャダムナン、ライト級チャンピオン。クンパン・シートントンさんの所で修行。クンパンさんの作ったタイ料理のトムヤムクンは、最高だった。もう一度食べたい。
プロフィール
中1から鳥栖警察署道場で柔道を始める。
高1から和道流空手道正空会に入門(ブルース・リーの映画を見て興奮して即入会)
同時期少年マガジンに掲載されていた「空手バカ一代」にはまり、マス大山カラテスクールに入会、航空自衛隊に入隊してからは、休暇をとっては、九十九里の夏合宿に参加して、「空手バカ一代」にどっぷりと浸かった。
日本武道館にて、得意技だった飛び後ろ回し蹴り。30年後に息子がこの技で日本一になりました。
息子の寿太郎
自衛隊時代は、柔道、空手道、銃剣格闘、駅伝の部隊代表選手として活躍
空手道は、陸・海・空、全自衛隊全国大会に2年連続出場するが、上位入賞は、果たせず。しかし日本武道館で空手道の全国大会に出場したのは、貴重だと思う。
31歳の時に自衛隊の訓練中の事故で負傷し、現役引退。自衛隊も退官し現在に至る。
空手道は、陸・海・空、全自衛隊全国大会に2年連続出場するが、上位入賞は、果たせず。しかし日本武道館で空手道の全国大会に出場したのは、貴重だと思う。
31歳の時に自衛隊の訓練中の事故で負傷し、現役引退。自衛隊も退官し現在に至る。
自衛隊で新隊員の教官をやっていました。
自動小銃は、本物です。実弾を数えきれないくらい打ちましたが、すさまじいです。
恐ろしいです。絶対に戦争なんてやっちゃ駄目です。戦争絶対反対!
元航空自衛隊新隊員教育隊教官
柔道初段、空手道4段、銃剣道4段。
(財)日本体育協会 公認スポーツ指導員
(財)日本体育協会 公認体力検定員
バンド「SHOバンドの省」
「浜田省吾」が大好きで、追っかけをやってました。